世の中には、いろんな才能があり、オリンピックでもトップアスリートの多くには、競技で活躍できる才能がそれなりに備わっている。 例えば水泳の池江璃花子選手は、生まれつき手が長く、両手を伸ばしたリーチの長さが、彼女より身長のある男性スイマーと同じ長さだとか… かと言って全てのアスリートに、そのような身体的な才能が携わっているのか、そしてそのような才能のある者だけがアスリートになりうるのかと言うと、それもNO。 インタビューを聞いても、才能とはちょっと縁遠いっぽいけど、ドン引きするぐらいストイックな選手もいたりもする。 逆に、アスリート以上の才能に恵まれているにもかかわらず、それを活かしきれていない潜在的アスリートの方が、世の中にはごまんといるのではないだろうか。 彼がこの競技を続けていたら、間違いなく名プレイヤーになっていただろう…というような人が周りにいるけど、もしかしたらそんな人、ゴロゴロ転がっているのでは…? まあ、それって実際はわからない、神のみぞ知ると言うやつだけど…そう考える方が楽しいし、「あー俺って、もしクライミングしてたら、世界狙えてたかもなー」なんて、お笑い芸人「ずん」の飯尾のネタみたいに、ゴロゴローとテレビでオリンピックを観戦するだけでも夢が広がる。(広がるか?) 要は人間って育つ環境が大切なんだな、と。 話が大きく脱線してしまったが、そんなトップアスリートたち全てが才能に溢れているわけではないし、彼ら、彼女らの中にも、ホントは別の競技の方が輝いていたかも…と言う選手も少なからずいるだろう。 とはいえ結果を残し、世の人々に感動を与えるアスリートたち。 それもそのはず、彼ら、彼女らには共通する「特別な才能」があるのだ。 ほら、やっぱり、特異で非凡な才能があるんでしょ…と思うべからず。 この「特別な才能」は、誰しもが持ち合わせている…というか、誰もが発揮する可能性があるのだ。
それが「続ける才能」。
例えるなら、指導者に言われたことを、迷うことなく黙々と続ける… 周りは三日坊主で辞めてしまっても、雨ニモ風ニモマアケズ〜……一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ…とまではいかなくとも、とにかく言われたことをやり続ける。 実際に、技術の習得なんて、何万回、いや何十万回反復したら、身につくかなんて誰も知らない。 例えば、無回転シュートを習得しようと、シュート練習を1万回やってもできないと諦めたけど、もしかしたら1万1回目で成功したかもしれないっていう、まあ極端な話。 結局、その何万回目にできるようになるかわからないような途方もないことに、例え周りがみんな諦めても、黙々とチャレンジし続け、最終的にそのスキルを手に入れたのが、世にいうトップアスリートたち。 スキルに限らず、0.0001秒のタイムを縮めるのも、1センチ高く跳ぶのも、相手より強くなるのも、そういった努力、継続がなせる技。 数多ある才能の中で、みんながその可能性を秘めながらも、それだけにそれを発揮するのが難しく、かつアスリートにとって最も重要となる才能こそが、この「続ける才能」なのだと、一度も世界を狙ったこともないくせに、胸を張ってもっともらしく語ってみた。
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